トルコのベリーダンス 




 その起源・・・ 

世界最古の踊りと言われるベリーダンス。
その起源ははっきりとはしていませんが、
古代世界の豊穣祈願の踊りに、端を発しているのではないかと言われています。
ベリーダンス発祥の地である中近東から地中海世界は、古くから多くの女神が信仰され、
現在のトルコの中心であるアナトリアでは、
臀部や乳房といった女性の「産む力」を強調した
古代の女神像が沢山出土されています。



 オスマンのハーレムで 

さて、15世紀にトルコはオスマン帝国の時代に入りました。
アラブ世界やヨーロッパまで領土を拡大した帝国のハーレムには、
各地から美女たちが集められてきました。
そこで、芸のたしなみとして、またスルタンの寵愛を得るために、
トルコのベリーダンスの原型が形作られていきました。
一説にはアラブ世界の女性たちによって踊られていたベリーダンスが、
オスマン帝国経由でトルコに輸入されたとも言われています。

最盛期のオスマン帝国の領土は広大で、
ハーレムには、様々な地域の女性たちが住んでいたわけですから、
ダンスもその影響を自然と受けることになります。
また10世紀にインド西北部から移動してきたといわれる「ジプシー(ロマ)」
たちは歌と踊りを生業とし、芸能の担い手でもありました。

元々中央アジアの遊牧民であったトルコ民族の伝統文化、
オスマン帝国の領土から輸入された文化、
そしてロマたち・・・
トルコのベリーダンスはこうした多民族なミックスカルチャーの中
熟成されてきたのが、大きな特徴です。




 ターキッシュ・キャバレー 

オスマン帝国が1924年に終焉し、
芸能の中心は宮廷ではなく、ナイトクラブやキャバレーへと移ります。
イスラムの文化では女性が人前で踊るということはご法度でしたので、
ベリーダンサーはロマやキリスト教徒の女性が中心となりました。

またトルコ共和国の初代大統領のアタチュルクは、
西洋化による近代化を推し進めましたので、
エジプトなど他のイスラム文化圏に比べて、ダンスに関する規制はとてもゆるやかでした。
こうした背景から、トルコのベリーダンサーの露出度はかなり激しくなり
昔のキャバレーの写真では、ほとんど裸のようなコスチュームで
踊る姿が映し出されています。

ベリーダンスのスタイルも、ロマやヨーロッパの影響を多く受けています。
動きはダイナミックで、回転が多く、ベールやジルなどを効果的に使い、
全体に華やかで躍動感に満ちています。
ロマ特有のリズムであるカルシラマと呼ばれる
8分の9拍子の曲ではステップを踏みますし、
また、床に膝をついて踊ったり、寝そべって踊るフロアワークも特徴です。
全体的に踊りの重心は高めで、
ずっしり重量感のあるエジプトのベリーダンスとは対照的。
ハイヒールを履いて踊られることからも、それが裏づけられます。

ベリーダンス音楽を演奏するミュージシャンもロマ出身が多く、
音楽も彼らの影響を色濃く受けています。
先にもあげた8分の9拍子の曲や、クラリネット、カーヌーンなど
音域が高めな音が好まれます。
こうした楽器のソロの即興部分とシンクロするように、情熱的に踊るのが
ダンスの見せ場でもあります。



 時代とともに、進化するスタイル 

トルコの芸能の中心地であるイスタンブールは、歴史的にも様々な人種が住む
多民族都市、そこで育まれてきたベリーダンスは、
流行を柔軟に取り入れて、発展し、多くのスターを生み出しました。

キャバレー時代の大スター、プリンセス・バヌ、初めてベリーダンサーでテレビに出演した
ネスリン・トプカプ、トルコの国民的大スター、イブラヒム・タトルセスのテレビに出演して
一躍有名になった、アセナやディデム。そしてNHKにも出演したセマ・ユルドゥスなど・・・

また、最近ではトルコのサイケデリックロックや民謡をベースにした、
オルタナティブなジャムバンド、ババズーラが彼らのライブで
セマ・ユルドゥスや、日本人ベリーダンサー、ノーラ(ルハニ・ベリーダンス・アーツ主催)
と共演し、ヨーロッパツアーを行ったことでも話題を呼びました。

これからも、時代の流れに寄り添いながら、
トルコのベリーダンスがどんな風に進化していくのか・・・
とても楽しみです。