少し前にお話させていただいた民族衣装のお話の続編です。
インドの少数民族の実態をお話させていただきたいと思います。
これは今からおよそ7年前(2004年)にさかのぼります。
インドのグジャラートの西の果てブージでパーミッション(通行許可証)を
とってさらにバスやオートリクシャー※で何時間も走ったパキスタンとの国境の付近にある村を目指しました。
(以下の写真はアヒール族の刺繍。)
※オートリクシャー…三輪のタクシー。タイではトゥクトゥクといいます。
村に着きました。
村を訪ねると、そこは村というより、囲いを作ってその中で生活している感じでした。
最低限なつくりの家で、これ以上の贅沢も求めない最低限の生活をしていました。
形が変わっても「変わらないで暮らすこと」の美しさと強さを目の当たりにしました。
しかし、期待をしていた民族衣装はもう作られていませんし、着られてもいなく、
サリーやパンジャビドレスでした。残念でした…。
ここで何よりも衝撃的だったのは国境付近は緊迫していて、ミサイルか爆弾の音が
たまに聞こえる。砂漠地帯なので植物や動物も少なく水も乏しい。
その中でたくましく生きる彼らの強く、そして優しい目が今でも忘れられません。
期待を持って次に、ラバリ族の故郷も行ってきました。
そこではまだ民族衣装が日常で着られていてとても感激しました。
彼女たちの民族衣装はお店でも売ってるのですがクオリティーがとても悪く、
雑な大量生産の割に高値だったのでここも自分の中では残念でした。
村を訪ねると、どこでも「よそ者が来た」という通過儀礼があります。
「私は悪い人ではないです」と伝えられなければ彼らと打ち解けることは難しいです。
出て行けと追い出されたこともあります。
それは言葉にしても態度にしても対等ではなく、
リスペクトを持って向き合うことも大切なことだと思いました。
お店で民族衣装を整理しているとたまに彼らの事を思い出します。
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