|
||
インドの少数民族 |
||
美しき民、ラバリ族 ラジャスタンやグジャラートで暮らす人々は、これまでずっとマハラジャ(王)の元で生活してきました。 ラバリ族の刺繍は、シルクロードにのって海を越え、ヨーロッパに渡ることもありました。 今日ではマハラジャに代わって国が彼らの刺繍を支えています。 マハラジャのために、家族のために1縫い1縫い熟練されていった技術は、娘の代まで引き継ぐことが難しいようです。 ラバリ族は、遊牧民もしくは、半遊牧民です。 カッチ地方では、2500から3000のラバリの家族がいます。彼らの70%は遊牧民で、グジャラート州、 ラバリ族は大きく分けて、3つのタイプがあるといわれています。 ラバリ族の集団は指導者に従って、ジャイサルメールよりやってきたといわれています。 デブラスはラバリ族の中で1番大きな集団で、大体800世帯が、小さな村に住んでいます。 男性は、皆、白い衣装、ブラウス(ケリアー)とドゥーティーを身に着けます。 ラバリ族は読み書きが出来ず、宗教の教義がわかりません。彼らは自然を愛していますし、崇拝しています。 定住しているラバリの女性は家事をし、買い物をし、ものを売っています。 家は土で出来ていて、装飾されています。泥で描かれた絵には、らくだやマンゴーの木、さそりなど、身の回りのものが描かれます。 三角や、マル、四角やアーモンド型を縁どって、自由に組み合わせています。
ジプシーのルーツ バンジャラ族 バンジャラ族はアフガニスタンの険しい山を通って、2300年前にラジャスタンの砂漠地帯に移動してきた種族といわれています。 バンジャラ族の女性は、衣装に好んでミラー刺繍をかざります。 ミラーワークには魔よけの意味がこめられています。 バンジャラ族が通ってきた、イスラム教の土地では、悪魔が頭の上にチョコンと座り、悪さをして、人々を迷わせると信じられてきました。 また、ミラーワークは遠くにいても、きらきら光り、砂漠に彼女たちがいることを教えてくれます。 そんな願いが詰まったミラーワークに惹かれる方も多いのではないでしょうか? 1800年代初期に、アウラングゼーブの軍による侵入で、バンジャラ族は所有した牛の数のおかげで、武器を輸送しはじめました。 武器輸送の生活が終わったとき、バンジャラ族はラジャスタンでの砂漠の生活を忘れて、 今日バンジャラ族の生活様式は自然に変わり、部族民は動物の彼らの群れを捨てなければならなく、家畜と放牧する生活から、 しかし、従来の習慣、方法および移住性本能はまだそのままであるようで、 一般的なバンジャラ族は、土製の容器、小さいキルト、タケおよびマット、壊れそうな木等、質素なものを少量所有しています。 黄銅および銅の容器は最近、非常に少数のバンジャラ族が所有するようになったようです。 若いバンジャラ族は都市で永久的な仕事に落ち着くことを好み、一部規則的な仕事を取る間、 バンジャラ族の女性は多分インドのあらゆる種族のグループの最も多彩で、モード的な民族です。 スカートは、マスタードおよび緑の糸で刺繍されるボーダーの燃える赤が使用され、 チョり(ブラウス)を装飾する小さいミラーは、刺繍され、 はだしで歩くと同時にチリンと鳴るのきれいな銀製のアンクレット、長い銀製のイヤリングは素晴らしく、 バンジャラ族の女性が、崇拝する繁栄の女神ラクシュミを代表した、 女性は主に労働者で、道路建設またはレンガ運送の仕事をしています。
アヒール族は、約1000年前に、GUKUL MATHURAの羊飼いとして、暮らしていました。その地を去った後は、北西インド、北インドを中心に広がったといわれています。 ミルクやギー(精製されたバター)を売ったり、メインは農家を営んでいました。 アヒール族の婚約は、花嫁の両親が、新郎の家族に贈り物を送ることで有名です。 中には、お金を持参するグループもありますが、大抵のアヒール族は、ミラーと、刺繍の装飾品をセットで贈るので、 歳を召した既婚女性は無地の筒になった黒いスカートと、シンプルな装飾の綿製で落ち着いた色合いの、使い古した無地のブラウスを着なくてはいけない。 アヒール族の刺繍はラバリ族のものにも似ていますが、ミラーを縁どり、幾何学か花のモチーフだけを使用しています。
ジェッツ は、カッチに住む集団で、先祖代々伝わる伝統を信じる民族です。起源はイランのハーフと呼ばれる地域に住んでいたと聞かされています。
村人たちはマハラジャをその名のとおり、偉大なる王として絶大な信頼を抱き、尊敬していた。 そんな村人たちには、昔から残る掟、つまりジャーティという生まれをあらわすカースト制が根付き、 ラジプットは武士階級の部族であった。 ラジプット族について特筆しなくてはいけないことは、彼らが、武士階級であったことと、 そのため、彼らが生み出す刺繍は、色合いや、デザインが富んでいる。 しかし、ラジプット族の悲劇は、そこに死という重く厳しい現実と常に隣あわせだというところである。 ラジプット族はヒンドゥー戦士として、イスラム勢力とぶつかったり、またイギリス軍に対抗した。 現在は、農民として暮らすラジプット族が多いが、彼らの生活も時代とともに変わり、 もし、その刺繍に触れることができるなら、彼らの複雑な歴史背景と、インドの壮大なる歴史の一部を感じていただけるだろう。
ハリジャンという名は、ガンディーから、メグワールの人々に与えた呼び名であり、ハリは神を、ジャンは人を意味します。 メグワールの起源は、ラジャスタンでした。ウールとコットンを編み、魅力ある刺繍と、革製品、木の彫刻品を作ります 。 メグワールは、カッチ全土で暮らしていますが、大体村の外のグループで生活します。 彼らの家はきれいで、泥とミラーで装飾されていました。 近所であるムスリムの家庭から、刺繍品を借りて、パターンや技術を学んでいます。 メグワールはヒンドゥーカーストに属しますが、様々な歴史、文化によって、村の外で生活しなければいけなく、社会的にも問題になっています。
◀前のページに戻る |
||