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インドの少数民族
 

美しき民、ラバリ族


ラバリ族の刺繍は、興味深く、かなり昔から芸術性が認められてきました。
他の民族と違った刺繍はインパクトがあり、種類も豊富です。

ラジャスタンやグジャラートで暮らす人々は、これまでずっとマハラジャ(王)の元で生活してきました。
まさに王様が人々の暮らしの中心だったわけです。
ラバリ族もマハラジャに刺繍を献上するため、その腕を磨いてきた民族です。
そして、マハラジャもまた、ラバリ族の刺繍に援助をしてきました。

ラバリ族の刺繍は、シルクロードにのって海を越え、ヨーロッパに渡ることもありました。
また、アラブやヨーロッパの刺繍文化が交じり合ってお互いの文化を築き上げた時代でもあります。
ラバリ族の刺繍は多くの民族に影響を与え、またラバリ族の刺繍も様々な文化によってより精密になっていったようです。

今日ではマハラジャに代わって国が彼らの刺繍を支えています。
しかし、残念なことに、彼らの刺繍技術も生活の変化と共に衰えていっているのが、現状です。

マハラジャのために、家族のために1縫い1縫い熟練されていった技術は、娘の代まで引き継ぐことが難しいようです。


ラバリ族の生活様式は、他の民族達とは全体的に異なっています。
沢山の外国人が調査をはじめ、ラバリ族の神秘的な生活様式がわかってきました。

ラバリ族は、遊牧民もしくは、半遊牧民です。
ほとんどの時間、彼らは集団で放浪しています。

カッチ地方では、2500から3000のラバリの家族がいます。彼らの70%は遊牧民で、グジャラート州、
オリッサ州、マハーラーシュトラ州、カルナータカ州、マディヤ・プラデーシュ州を、飼料と水を探して移動します。

ラバリ族は大きく分けて、3つのタイプがあるといわれています。

ラバリ族の集団は指導者に従って、ジャイサルメールよりやってきたといわれています。
また、バルチスタンを通り、アフガニスタンから、カッチ地方にやってきたグループもあるといわれています。
別のラバリ族は、パキスタンのシンド州からやってきたと信じています。

デブラスはラバリ族の中で1番大きな集団で、大体800世帯が、小さな村に住んでいます。
女性にはサブカーストで異なる衣装と装身具があります。

男性は、皆、白い衣装、ブラウス(ケリアー)とドゥーティーを身に着けます。
女性は黒の衣装を身に着けます。ラバリ族は、黒という色が哀れで悲しい色ということを知っています。

ラバリ族は読み書きが出来ず、宗教の教義がわかりません。彼らは自然を愛していますし、崇拝しています。
そして、ラバリの男性は女性を尊敬し、大切にしています。

定住しているラバリの女性は家事をし、買い物をし、ものを売っています。
男性は、ほとんど砂漠で、らくだやヤギと暮らしています。

家は土で出来ていて、装飾されています。泥で描かれた絵には、らくだやマンゴーの木、さそりなど、身の回りのものが描かれます。
ラバリの女性は大変興味深い刺繍をほどこします。豪華で、感動的な刺繍は、遊牧生活の象徴として、知られています。

三角や、マル、四角やアーモンド型を縁どって、自由に組み合わせています。
完璧な刺繍は、結婚のダウリー(持参金や持参用品)として、ささげられます。





ジプシーのルーツ バンジャラ族

バンジャラ族はアフガニスタンの険しい山を通って、2300年前にラジャスタンの砂漠地帯に移動してきた種族といわれています。
インド、ヨーロッパ系の言語がルーツといわれ、遊牧的な人々であります。

バンジャラ族の女性は、衣装に好んでミラー刺繍をかざります。

ミラーワークには魔よけの意味がこめられています。

バンジャラ族が通ってきた、イスラム教の土地では、悪魔が頭の上にチョコンと座り、悪さをして、人々を迷わせると信じられてきました。
バンジャラ族もそんな彼らの風習と、魔よけの願いを取り入れてきたのではないでしょうか。 

また、ミラーワークは遠くにいても、きらきら光り、砂漠に彼女たちがいることを教えてくれます。
灼熱の太陽で、布がすぐに傷んでしまうので、砂漠の民族は、刺繍をして、耐久性をよくしました。

そんな願いが詰まったミラーワークに惹かれる方も多いのではないでしょうか?


バンジャラ族は14世紀頃から南に移動し始めたといわれています。

1800年代初期に、アウラングゼーブの軍による侵入で、バンジャラ族は所有した牛の数のおかげで、武器を輸送しはじめました。

武器輸送の生活が終わったとき、バンジャラ族はラジャスタンでの砂漠の生活を忘れて、
デカン(中部半島のインドの台地)に落ちつきました。

今日バンジャラ族の生活様式は自然に変わり、部族民は動物の彼らの群れを捨てなければならなく、家畜と放牧する生活から、
建物および建設プロジェクトの労働者として働くことに変えなければならなかったようです。

しかし、従来の習慣、方法および移住性本能はまだそのままであるようで、
バンジャラ族はどこにでも仕事をすることができ、一時的な簡単な家をつくって、生活しています。

一般的なバンジャラ族は、土製の容器、小さいキルト、タケおよびマット、壊れそうな木等、質素なものを少量所有しています。

黄銅および銅の容器は最近、非常に少数のバンジャラ族が所有するようになったようです。

若いバンジャラ族は都市で永久的な仕事に落ち着くことを好み、一部規則的な仕事を取る間、
ハイダラバードの人力車になるように勧められているようです。

バンジャラ族の女性は多分インドのあらゆる種族のグループの最も多彩で、モード的な民族です。

スカートは、マスタードおよび緑の糸で刺繍されるボーダーの燃える赤が使用され、
頭部をカバーするオダニ(ショール)は背中を覆うために随分長いのです。

チョり(ブラウス)を装飾する小さいミラーは、刺繍され、
色々な材料、銀、黄銅、金象牙、動物の骨およびプラスチックなど、なんでも使用されます。

はだしで歩くと同時にチリンと鳴るのきれいな銀製のアンクレット、長い銀製のイヤリングは素晴らしく、
タカラ貝は髪の毛を飾り、手首および足首で身に着けられています。

バンジャラ族の女性が、崇拝する繁栄の女神ラクシュミを代表した、
何百ものタカラ貝は非常に幸先がよいとされています。

女性は主に労働者で、道路建設またはレンガ運送の仕事をしています。
全ての宝石を身につけ、重労働をするために衣類に刺繍しました。







クリシュナの後継、アヒール族


アヒール族は、クリシュナ王の子孫といわれています。

アヒール族は、約1000年前に、GUKUL MATHURAの羊飼いとして、暮らしていました。その地を去った後は、北西インド、北インドを中心に広がったといわれています。

ミルクやギー(精製されたバター)を売ったり、メインは農家を営んでいました。
しかし、現在は彼らの商売も変わってきて、塩を運送するようになりました。不規則な雨のせいで、農業はなかなか安定できないようです。
母国語はグジャラート州の言語です。

アヒール族の婚約は、花嫁の両親が、新郎の家族に贈り物を送ることで有名です。

中には、お金を持参するグループもありますが、大抵のアヒール族は、ミラーと、刺繍の装飾品をセットで贈るので、
花嫁とその母親は刺繍に時間を費やします。1番少なくても、シルバーのネックレス、
ゴールドのネックレス、イヤーリング、ノーズピアス、アンクレットとブレスは持参金に含まれます。


 

 


アヒール族の女性の衣装が示すものはジャーティ(私達がカーストとよんでいるもの。実際には生まれ持ったものと訳される)と年齢である。
若い女性は1番手の込んだ衣装を身に着けます。彼らの赤や緑、青やオレンジ、茶色のタイダイスカートには、豊富な刺繍がしてあります。

歳を召した既婚女性は無地の筒になった黒いスカートと、シンプルな装飾の綿製で落ち着いた色合いの、使い古した無地のブラウスを着なくてはいけない。
若い女性と中年の女性は、刺繍のボーダーがつく、赤と黒のオダハリ(頭からかぶるショール)をみにつけなくてはいけません。

アヒール族の刺繍はラバリ族のものにも似ていますが、ミラーを縁どり、幾何学か花のモチーフだけを使用しています。
時間があるとき、家もしくは畑で針仕事をするアヒール族の姿は、美しいです。



ムスリム刺繍 ジェッツ族

ジェッツ は、カッチに住む集団で、先祖代々伝わる伝統を信じる民族です。起源はイランのハーフと呼ばれる地域に住んでいたと聞かされています。 

  500年前、ハーフから現在のパキスタンとインド国境付近にある、シンド(今のパキスタン)と、
カッチに羊飼いが新しい牧草地をさがす為にやってきて、移住したといわれています。

さらにその後、 カッチ地方を横断して、そこに農業をこしらえ、定住し、知られるようになりました。 

ジェッツ の中には、牛の家畜業をやるようになったり、コーランをささげるため、学び、有名になったグループもあります。
カッチにすむ、全てのジェッツはムスリム(イスラム教徒)であり、結婚を占いで決めるしきたりがあるようです。 
牛の群れと暮らし、テント暮らしのジェッツは、男性が動物の世話をし、女性は家族でテントにいるままで、ギーを売っています。 

聖地参拝者として、メッカやメディナに向かって旅するグループもいて、彼らは別の子孫と結婚することを好んでいます。 

海岸地域に移住したグループの起源は、ホーリーマンで乞食をしていたと伝えられます。
男はらくだを連れ、若いオスの動物を売り、女性はテント暮らしをするようです。 

男性はカミッシュとルンギをはき、女性はガガという黒い服を着るのが一般的です。  






民族最強なる ラジプット族



 少し前の話、ラジャスタンをはじめ、インドの多くの地域は、
もともとマハラジャの恩恵と、加護をうけながら、村人たちが生計を建てていた。

村人たちはマハラジャをその名のとおり、偉大なる王として絶大な信頼を抱き、尊敬していた。

そんな村人たちには、昔から残る掟、つまりジャーティという生まれをあらわすカースト制が根付き、
チャイ屋はチャイ屋、家具屋は家具屋というような、家業を継ぐ仕組みが確立されていた。

ラジプットは武士階級の部族であった。
彼らはマハラジャ直属の武士として、常にマハラジャの元で暮らすことになる。
そういう生まれが、現在も尚、ラジプットの誇りとして、また様々な
生まれを持つ村人から尊敬をうけ、語り継がれている。

ラジプット族について特筆しなくてはいけないことは、彼らが、武士階級であったことと、
それに劣らず勇敢で誇り高き民族であったということである。

そのため、彼らが生み出す刺繍は、色合いや、デザインが富んでいる。
女性たちは、他の部族の女性と変わらず、刺繍ひとつひとつに想いをこめただろう。

しかし、ラジプット族の悲劇は、そこに死という重く厳しい現実と常に隣あわせだというところである。

ラジプット族はヒンドゥー戦士として、イスラム勢力とぶつかったり、またイギリス軍に対抗した。
女性たちは、夫や兄弟の帰りをまち、また、帰らぬ者たちの悲しみを癒すため、刺繍を作る事になる。

現在は、農民として暮らすラジプット族が多いが、彼らの生活も時代とともに変わり、
刺繍の後継者も減ってきている民族のひとつである。

もし、その刺繍に触れることができるなら、彼らの複雑な歴史背景と、インドの壮大なる歴史の一部を感じていただけるだろう。



 神の子 メグワール族

ハリジャンという名は、ガンディーから、メグワールの人々に与えた呼び名であり、ハリは神を、ジャンは人を意味します。

メグワールの起源は、ラジャスタンでした。ウールとコットンを編み、魅力ある刺繍と、革製品、木の彫刻品を作ります 。

メグワールは、カッチ全土で暮らしていますが、大体村の外のグループで生活します。

彼らの家はきれいで、泥とミラーで装飾されていました。
女性は刺繍とアップリケが得意です。

近所であるムスリムの家庭から、刺繍品を借りて、パターンや技術を学んでいます。
そのため、刺繍は、ジャッツのものと似ています。

メグワールはヒンドゥーカーストに属しますが、様々な歴史、文化によって、村の外で生活しなければいけなく、社会的にも問題になっています。









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